月夜見 “かけたら出る出る?”

      *TVスペシャル、グランド・ジパング ルフィ親分シリーズより
  


 今時ではむしろ珍しいくらいとなっているそうですね、畳を敷き詰めた和室。リビングの一部が“小あがり”になってて、そこがちょっとした畳敷きになってる…とか、二世代住宅の2階に1室だけあるとか、今やそんな格好の扱われようになりつつあるのだそうで。それどころじゃあない、何かで紹介されてた“お受験を成功させる秘訣”の中では、
『畳の葦草(いぐさ)の香りが精神集中には持って来いだから』
という順番で和室を奨励していたりもするそうで。そういう時代になったことへ、何だか隔世の感があったりする筆者は、むしろ…廊下やキッチン以外にフローリングの部屋がある家というのに初めて引っ越したおりは、何だかハイソだなぁと感じてちょっとドキドキしたもんですけれどもねぇ。



 畳に土壁、玄関といやあ三和土
(たたき)の奥に随分と段差のある上がり框。障子の向こう、庭に向いた縁側の際には、沓脱ぎの平たい大石が据えてあり。子供の歯が抜ければ、下の歯は屋根の上、上の歯は縁の下に投げると、丈夫な歯が勢いよく生えて来るなんて言われてて。敷居はその家の主人の頭と思って、むやみに踏んではいかんと言われたもんだけど、何で家長の頭なのかは結局判らずじまいのまんまだなぁ…。

 「じゃあ、敷居が高い家ってのは、親父さんの背が高い家って意味なんか?」
 「それは絶対に違うと思うぜ、親分。」

 まだまだ昼間で陽が高いせいだろう、日陰も少なくて頭上にはやたら濃い青の空が広がるばかり。そんないいお日和があんまりにも強烈なもんだからと、見回り途中に、いつもの木陰で涼んでいる二人連れ。そよぐ風に水の香がほのかに染みてるのは、ほんのすぐ傍らに水路になってる狭い川があるからで。川の向こうには商家の蔵の白い壁が、陽を反射して目映い割に、どこか無愛想なまんまで居並んでいる。向こうはもっと狭いだろ、そんな川端に添うて立つのは柳の木立ちで。青々と葉をつけた嫋やかな枝が、時折川風に揺れるのがのんびりと涼やか。横手の通りに架かる橋の向こう、もっと幅の広い大川の流れでは、荷を運ぶ小舟が行き来している影が時々望めて。着物を尻っぱしょりにした手ぬぐいかぶりの男衆が、器用に棹を操ってのぐいぐいと進むのもまた爽快な眺めだったりする。
「春先や秋口ならば子供らが駆け回っているものだが、こうまで暑いと勘弁なのかね。」
「いんや。日蔭へ逃げただけだろよ。」
 川に向かってゆるやかな傾斜
(なぞえ)になったこっち側は、名も知らないが結構な枝振りの大樹が落とす陰の御利益だろう、空気はぬるいがそれでもしのぎやすいったらなく。炎天下へ再び出るのが億劫なせいでか、ついついと無駄口並べて居座る態勢になっている、お鼻の長い下っ引きさんの言いようへ。こちらさんも実は暑いのが苦手ながら、それでもお元気が勝るらしい、いかに腕白そうな面差しの連れが、微妙に年下に見える幼さだのに…されど年上ぶった口利きを返す。彼こそは、このグランドジパングが誇る名うての岡っ引き、麦ワラのルフィという捕物名人で。見た目のそのまんま、まだ十代という若さの駆け出しではあるけれど。ちんまい体躯に見合わない、途轍もない馬力と膂力の持ち主であり、こやつと食いついた下手人を取り逃がしたことはなく。しかもしかも、曲がったことが大嫌いというさっぱりした気性から、それが金満家だの役人だのという権勢者であってもお構いなしの不公平なしに、きっちりお縄を掛ける気っ風のよさが大人気。検挙した悪人の数と同じほど、町のあちこち壊してもいるが、それでも彼への快哉の声は止まずで。どうかするとご城主様もこそり認める存在という噂までが…あったりなかったり。(苦笑) そんな親分さんが、くつろげた懐ろに手うちわで風を送りつつ、ひょいと見やったその先には、
「…お。」
 も少し先の川の上手、流れとの境の目印に杭を打たれた、くるぶしまでだってなかろう浅瀬で、幼い子供たちが何人か、水遊びに興じておいで。こちらもやっぱり、浴衣のような薄い着物の裾を帯に挟んでの、彼らなりの尻っぱしょりといういで立ちでおり、
「あんまり暑いと涸れるほどの浅瀬なんだろな。藻ですべるという恐れもないらしい。」
「何で判るんで?」
 すぐのそこって距離じゃあなし、水の中までは望めないのにと、親分さんの言いようへ弟分であるウソップが小首を傾げれば、
「だって女の子も混じってる。」
 ウチの相長屋のおリカなんかは、結構なお転婆のくせして、濡れたりコケたりは怖いからって すべりそうな水辺へは入らねぇだろが。何 言ってますよ、おリカちゃんはしっかり者だから用心してるだけの話。まだ子供なんだから、水で遊ぶのに夢中になっちまったなら、女の子だってそこまでの気をつける子なんてのは…。

 「キャッ!」

 言ってる傍から、ちょっぴり甲高い声が上がり、それを追っての“わあ”とびっくりしたような声が上がる。他にも周囲に大人らが居ない訳ではないけれど、深みに嵌まったほどの大ごとではないらしく、尻餅をついた程度のむしろ微笑ましい失敗。おやおや困ったことだねぇなんて顔をして、通り過ぎてくばかりだったりするのだが、
「ありゃりゃあ。」
 こちらさんはすっくと立ち上がると駆け寄ってやっている親分で。木洩れ陽がまだらな陰を落とす浅瀬の中、足元へ用心しいしい傍らまで駆け寄れば、子供らの輪の中、眉を曇らせ立ち尽くす女の子がおり。
「あ〜あ、濡れちまったな。」
 はしょらずとも膝下ほどという丈の短い着物らしかったが、それにしたってお尻や背中までという濡れ方は、もはや“濡れ鼠”の一歩手前という惨状で。お顔や髪にまで至らなかったのは良かったねとしかいいようがない。
「まあ、このいい陽気だ。遊んでる内に乾くんじゃねぇか?」
 困ったねぇと仲間内の女の子が肩を抱くようにして案じてやってる頭の上から、ウソップが…当人は慰めるつもりで言ったらしかったが、少々無神経な言いようをしたもんだから、
「〜〜〜。」
「あああ、すまんっ、ごめんっ、堪忍して下さいっ!」
 女の子の大っきな瞳がうるうると潤み出してから、どひゃあと大慌てになる始末。しょうがない奴だねぇと閉口しつつも、こちらさんも行動は素早くて。
「とりあえず、これを羽織んな。」
 くるくるっと自分の着物を脱ぐと、小さなお嬢さんの肩へと掛けてやった親分さん。どんなに暑くたって、それと下着だけってな薄着じゃあない。職人さんのような装備として、下馬にぱっちにと着付けておいでだったので。いきなりすっぽんぽんになる訳じゃあなしとの潔い脱ぎっぷりを披露してから、
「家まで送ってこう。どこの長屋の子だい?」
 腰を屈めて そうと笑いかければ…あら不思議。今泣いたカラスがもう笑って、お嬢ちゃんにはさすがに大きめ、格子柄の赤い着物を羽織った中から伸びた手が“あっち”と小さな指で差し示す。
「あっちって…あっちに長屋があったか。」
 そりゃあまあ、どこまでもどんどんと歩きゃあそっちにもあるこたあろうが。ご城下の地図はあらかた頭に入っているウソップが、そっちは店屋が並んでる通りじゃあと思い出し、おやや?と小首をかしげて見せる。確かに、お嬢ちゃんが指さしたのは、さっき眺めていた橋の向こう側であり。そっちには川のどん突きの木場が近いとあって、そこで働くいなせな男衆相手の食べ物屋から口入れ屋、材木問屋に両替屋に、廻船関係の大店が居並び、そこから外れてのこっちへ来るに従って、家具や指しものを扱う、道具屋だの建具屋だのが散らばっている。指しものというのは、箪笥や机、箱といった、板を組み合わせて作る器物のことで、大きな箪笥や長持ちは例外なれど、それを据え置く現場で現物を作り上げる“大工さん”よりも、家や作業場で“職人さん”が手がける仕事であり、

 「建具屋?」

 おややと今度は親分さんが、その童顔をひょこりと傾げて見せれば、
「どう言やいいのかな。板戸や雨戸や障子や欄間やを作ったり、手の込んだものが作れる腕利きの職人の手配をしたりを商いにしてる店のことですよ。」
 そういうことへは知己もいて詳しいらしいウソップが、名誉挽回と言わんばかりに説明して差し上げる。
「雨戸に障子? そんなもんは、柱や敷居と一緒に大工さんが作るんじゃねぇのかよ。」
「だから。家一軒建てようと思ったら板戸や障子や欄間やもどうしたって結構な数が要るでしょうが。」
 まま、家を建ててと依頼する側は、そういうものまで込みで大工さんに任せてるんでしょうけれど。いざ建てるべえとなると、そういった細かい仕事はそれが得意なお人に任せてのまとめて作ってもらった方が、効率もいいし品もよかろうということで、
「作業が分化されての専門職、建具だけ作る職人ってのが生まれたんですよ。」
 お大尽の屋敷へのもんともなりゃあ、長屋の障子戸なんか比べもんにならないくらい、贅沢にも手が込んだのもありますからね。細かい組木細工の合わさったのとか、下半分が上へ上げられる雪見障子とか、
「あと、一見さりげない贅沢ってのもあって。正目の整った同じ色合いので揃えて…なんて細かいところから丁寧に取り掛かり、材木集めの段階から吟味して手を掛けりゃあ。小さな茶室を一つ作るのに、下手すりゃ建具だけで豪邸がもう一軒建っちまうよな場合だってあるって話ですしね。」
「ふえぇ〜、そいつぁふるってやがる。」
 家なんて屋根と壁と床がありゃいいじゃんかって思うけどな俺なんか、なんて。そっちはそっちでまた極端なことを言ってのけた親分さんの手を、案内の先杖のようにして引いてた女の子だったが、
「…っ。」
「どうしたい?」
 眼前に伸びるは陽にさらされて白く眩しい土の道。傍らの店構えの塀の内からか、一匹だけで鳴く蝉の声がどこか間延びして聞こえる中。あっと声上げ、手を放し。ぱたたっと勢い良くも、先へ先へ駆け出してったのは。向かう先の道へ、店の横手の路地だろう隙間という横合いから、ひょいと出て来た人影を見たからで。
「父ちゃん。」
「おお、おかよじゃねぇか。妙なカッコしてどうしたね。」
 何か祭りの演目
(だしもの)かいなんて、気さくな言いようをしたおじさんが、自分目がけて駆けて来た、ぶかぶかの着物を着せかけられた小さな娘さんへと笑いかけたのへ、
「あんね、」
 足元にまだちょっぴりと泥をくっつけたお嬢ちゃん、手振り身振りを入れながら、コトの次第を話して聞かせれば、

 「これはどうも。わざわざすみませんでした、親分さん。」

 娘が世話をかけましたねと、遅ればせながらようよう追いついたルフィらへ、居住まい正すとわざわざ鉢巻きを外してまでして頭を下げる、礼儀正しいお父さんだったりし。
「ほれ、井戸端で足を洗って着替えておいで。」
「あい。」
 そうと言われたお嬢ちゃん、借りてた着物を肩から脱ぐと“ありがとう”と親分へ返し、このお父さんが出て来たほうへとかけて行く。勝手知ったる何とやらであるらしく、ここまでついて来たお友達も、一緒になって駆けていったのが、結構な間口を誇るお店の大戸の丁度真横。どうやら建具屋らしいが、
「でっかい店だなぁ。」
 感に堪えたような声を上げるウソップの傍ら、
「おっさんの店か?」
 ルフィが訊けば、職人装束のお父さん、とんでもないないと慌てたようにかぶりを振って見せ、
「わっちの師匠の代からお世話になってる店ですよ。ちょうど今、結構な数の一揃いのお道具を直したり拵
(こしら)えたりしておりますので、職人らが一つところに集められての、一度に作業に取り掛かっておりまして。」
 日本の家屋は、木材にワラだの土だの、竹やら紙やら葦草だのと、自然素材をふんだんに使いの、床を高くしたり天井裏を構えたりといった様々な工夫をして、四季折々のそれぞれの気候にうまく対応できる仕組みになっているけれど。それでも夏場と冬では落差があまりに大きいので、大きなお屋敷などでは、夏と冬とで調度を丸ごと入れ替える。素材や意匠を変えることでそれぞれの季節感を楽しむため…という、風流以上のものであり、例えば、床に細かく裂いた竹を編みこんだ簟
(たかむしろ)というのを敷いたり、板戸も“葭戸(よしど)”という、枠に葭簀(よしず)をはめ込んだような、風の通りのいいのへと取り替える。勿論のこと、襖も最低限に必要なもの以外は外してしまって風の通りをよくし、門前や前庭へ打ち水をして涼しい風を起こしては、それを屋内へと誘い込む…という次第。
「なので、夏の間は使わない冬物を蔵へとしまうんだが、その折に、ちょうどいいからって修理に出されるものも少なくはなくってね。」
 店先や庭先だけじゃあ足りないか、裏手の路地に沿った壁へまで、ずらりと並べられたのは。そういった“冬物”の板戸や襖の預かり物であるらしく。それを順々に眺めながら、彼らもまた庭のほうへと回ってゆく。
「じゃあ、おっちゃんトコは“建具屋”なのか?」
「というか、若旦那の代から表具屋になりそうな気配なんですが。」
 そうなると自分は畑が違うので、回してもらえる仕事も減るかなと。ちょっぴりがっかりと肩を落としたおじさんであり、

 「表具屋?」
 「えっとぉ。建具じゃあなく、掛け軸とか額縁とか、
  襖や屏風なんかを作ったり直したりする商売のことですよ。」

 襖や屏風は微妙にかぶってもおりますが、お道具として作るってのよりも、そこへ名画を装丁したり、既に装丁されている書画の修復を手掛けたりのほうが主体になるお仕事で。工芸品というより美術品の方へと傾いた作業を手がけるがため、技術に加えて、名画への造詣やら作品や素材への時代考証やら、学術的な知識の蓄積をもっと深く必要とされもする。そこのところが“畑が違う”と言いたいらしく、

 「う〜ん。どこも大変なんだねぇ。」
 「けど、そんな贅沢な仕事っていうと、
  それなりのコネとか伝手がないと回って来ねぇんじゃね?」

 何でだ? だから…お宝預けて修理してもらったりすんですぜ? 傷もんにされたら一大事ってことで、よほどに信用のおける相手じゃねぇと。あ・そかそか…なんていう、大人たちのお話なんざ聞いちゃあいない子供らが、それでもこちらへ集まって来ての、興味津々で眺めていたのは。下っ引きのお兄さんが何やら作り始めた手元へと。廃材として束ねてあった中から、半端な長さの竹とか棒とか、適当に幾つか引っ張り出してのちょちょいと手際良く、切ったり継いだり手を加えてくと、
「ほれ、小さいがその分手持ちで遊べんぞ?」
「わあ。」
「凄い凄い。」
 盥
(たらい)に底を沈める空気入れのような型のではない、押し出し式の水鉄砲が、ついて来ていた何人かの子供らの頭数だけ出来上がっており。たちまちのうち、井戸端の大盥に張られた水を吸い上げては、互いに掛け合う小さな合戦が始まってしまった。ホウキの柄ほどという太さの筒なので、せいぜい湯飲み一杯、一合足らずの水しか飛ばせぬ程度の罪のないもの。居合わせた職人らも、間近に寄り合わねば相手へかからぬというお粗末さなのへ、可笑しいことよと笑うばかりだったのだが、

 「あっ、これっ。」

 日陰の一角、水のりを乾かしていたものか、それとも虫干しか。掛け軸が何本か、床几の上へ広げられていたところへもしぶきが飛んだ。これこれ、こっちへは掛けちゃあいけないと、おかよちゃんの父上が手を伸ばしたことで、直接浴びせるのからは庇えたが、
「ああ、ちっと濡れちまったのがあるな。」
「どれですか?」
 大きな眸できょろりと見ていて気がついたものか、親分さんが中の1つにその視線を据えており、

 「あれ?」

 そのまま、妙な声を出す。
「下の、いや、裏のかな? 何か字が透けてるぞ、これ。」
「え? そりゃおかしい。」
 それは確か装丁を頼まれただけの代物だから、わっちが手掛けたんですが、
「書には触っちゃあいないし、確かご依頼されたお方の直筆。」
 古い作品を修復した場合、その下地に使ったのが書き付けや古紙だったりすると、それへの墨跡が次の修復のときに見つかり、それが名のある人の書き付けだったと話題になったりすることが、稀にあったりもするけれど。
「書を乗せた台紙にも、装丁に使った砂ごちらしの和紙にも、真新しいのを使ったんだ。そんな、字や何かが浮かぶなんてこたぁ…。」
 あったら失策と思ったか、慌てて駆け寄り、確かめようとしたところが、

 「何を騒いでやがんだ、留さんよ。」

 枝折戸の向こう、母屋のほうから声がして。誰ぞがこちらへとやって来る気配。途端に、他の職人らが慌てて場を外しての立ち去ってゆき、それへと睨
(め)ねつけるような威嚇の視線を投げかける、柄の悪そうな男を何人かを従えた人物が。それでも身なりは上等なそれだろう、粋な色合いの小袖に絽の羽織といういで立ちでこちらへとのして来た。
「あん? 誰だい? お前さんたちゃあ。」
 開口一番、ルフィやウソップへと怪訝そうな顔を向けたが、それへは取り巻きの一人が素早く耳打ちし、
「おや。これは失礼致しました。町方の親分さんでしたか。」
 一応は口調が改まったものの、いかにも斜め上から見下ろしておりますという態度のほうはちっとも改まらないままであり、
「ウチの作業場で何をなさっておいでなんすか? ここにゃあ親分さんが関わりの、切ったはったや盗
(と)った奪(と)られたってなもんは置いちゃあいませんが。」
 粋な言いようをしてやったと、言わんばかりの得意満面。うらなり顔の真ん中に鎮座まします、さして高くもない鼻を、顔ごと反っくり返らせかかった彼は、後で判ったが この店の若旦那であったらしい。
「ああ、気をつけて下さいね。いづれも名のあるお屋敷からお預かりした逸品ぞろい。判りやすい掛け軸だけじゃあない、組木の障子や欄間にも、名人と呼ばれたお人の作品が」
「でも、この習字はへったくそだよな。俺だって もちょっとマシだぞ。」
 言いかかるのを遮って、指の先にて摘まんで見せたは、丁度今、下の字が透けてることを指摘したばかりの剛筆の書。素人に何が解るかと嘲笑しかかった若旦那の、瓜にさも似た…もとえ、うらなり顔が“え?”とこわばり、それから…青ざめる。草履をばたばた、今にも脱げるんじゃないかという乱暴さで鳴らして駆け寄り、手前にいた小さなおかよちゃんまで突き飛ばしたのへ、

 「…おい。」

 親分の眉が顰められたのへもお構いなしに、ルフィの手から掛け軸を引ったくった彼であり。穴が空くかというほども、じ〜〜っと凝視し始めたので、

「すいません、若旦那。墨蹟の上にはかかっちゃあいませんし、修復にも使っております湧き水の清水だ、しわが寄ったりはいたしませんが。それでもたまなしになったとのお叱りを受けることならば…。」
 お預けになられた先へは私が頭を下げに参りましょうと、職人たちの束ね役だったらしきおじさんが言うのを、お返しにか遮って。

 「……見たね?」
 「はい?」

 お顔は掛け軸の方をしか見ていなさらぬ若旦那。蒼白になっての凍りついた顔のまま、こわばったお声で繰り返したのが、

 「見たんだね? 何か字が透けてたの。」
 「え? あ、はい。でも何が書いてあったかまでは…っ。」

 びゅっと。何かが上から物凄い勢いで、頭上ほどもの高さから降り落ちて来たと。順を追っての気づいたのさえ、突き飛ばされてからだったほど。どんっと飛ばされたおじさんが、自分がいたところを吹っ飛びながら見やったれば。そこには別な誰かの姿。

 「…何すんだ、いきなり。」

 意外なことをというような言い方だったが、それにしては落ち着き払った声を出し。こっちを突き飛ばしたのじゃあない方の、逆手に握った十手を添わせた前腕、手首あたりで がっきと親分が受け止めてしのいだは。こういう荒ごとへと場慣れしているらしい、無頼風のちんぴらの一人が振り下ろした匕首
(あいくち)の切っ先一閃。半端な丈の袖から剥き出しになったごつい腕は、それをひけらかすだけで非力な人々へは十分な威嚇にもなっただろうが。あいにくとそんなものは見慣れてもいるお人が相手、

 「腰も入っててなかなかの一撃だったがな。」

 その凶刃の真下から覗いてる、眇めた目許が鋭くも細められ。口許にはいかにもしたたかそうな笑みが浮かぶ。惨殺も辞さないという問答無用な一撃を、受け止められたことが嬉しいのか、それとも。歯ごたえのある腕前の相手なのが嬉しいのか。そんな風にさえ見える、ちょっと悪い子の笑い方でもあって。
「そもそも、見られちゃあまずいものを、こんなところへあっけらかんと置いてた方が悪いんだろうが。」
「…親分。何か変だ、その啖呵。」
 せっかく此処までカッコよかったのと、的確な突っ込みを入れたのはウソップで。吹っ飛ばされた職人のおじさんを、こちらさんもまた手慣れた様子で受け止めると、場の空気の尖りようへ、あわわと震え上がってる子供らを腰回りに従えての後ずさり、
「親分っ、この子らは引き受けたから心置きなくやってやれっ!」
「おうさ。お前こそ追いつかれんな? 何とか番所まで逃げ延びなよ。」
 何がどう問題なのやら、掛け軸を手にしてわなわなしている若旦那は…まま数に入れずとしていいとして。取り巻きのチンピラらが、ひのふの…六人ほど。何がどう、どれほど重大なのかは相変わらずに解らぬままだが。若旦那とやらが取り乱した様子への素早い対応は、事情をちゃんと知っていてこそのそれだろうから。だとすれば、この一部始終を見た者はすべて、意味は判ってなくとも関係なく“口封じ”される恐れがある。言った端から、表通りへ駆け出した彼らを追って、飛び出しかかった男がいたが、
「させるかよっ!」
 匕首の重みを弾き飛ばした大きな背伸びと同時、いったん引っ込めたもう一方の腕、凄まじいバネを生かしてそやつの背中の真ん中へと叩きつけて差し上げれば、
「ぐがっ!」
 相撲取りの張り手もかくやという威力の掌打が、相手の背中を反り返させるほどに決まっての、まずは一人目を仕留めてしまい、

 「気ぃつけな。その親分は悪魔の実の能力者だ。」
 「おおっ。」

 残った顔触れが懐ろから申し合わせたように一斉に取り出したのが、ごむごむの技、刃物には太刀打ち出来ないと知ってた上でのそれだろう匕首で。だが、
「ふ〜ん、一応は知ってるんだ、色々と。」
 例えば、町方の顔は下っ引きに至るまでを知っていて初めて一人前とするような。そんな、組織だったところの人間たちであるらしいことを匂わせる彼らであり、
「てめぇっ!」
 最初の一人が突っ込んで来、その刃を十手で大きく外へと弾けば。それへと連なるように突っ込んで来ていた次のが、体が延びてのがら空きになってた脾腹を抉ろうとしたけれど。
「…っ?!」
 そこには何も居なかったものだから。空振ってつんのめり、手ごたえのない宙を泳いだ身が おっとととたたらを踏んだのへ、
「そら。」
「あだっ!」
 横から背中を押され、いとも容易く井戸側へと倒れ込んでの肩をぶつ始末。何のこたぁない、体が延びたそのまんま…身構えるためにと戻さずの延ばして延ばして、餅のように身を細くして、切っ先から逃れただけのこと。そうやって背丈を延ばしてはっしと掴んだ軒先に力を移しての足のほうを蹴上げれば、そこに進み出ていた暴漢の体が見事当たって吹っ飛ばされたというわけで。あっと言う間に動けなくなったのが2人に増えて、
「く…っ。」
 こういうことこそ本職だろう与太者連中が、腰を引いての出方を窺い、らしくもなくの躊躇を見せる。ただの町方、まだまだ駆け出しの岡っ引き風情と侮っていたらしく、

 “だよなぁ。
  よほどに情報集めてる周到な奴だの大物だのででもなけりゃあ、
  あの親分の見かけにはうっかり騙されちまう。”

 本性出したる今のお顔。直刃
(すぐは)の和刀の切っ先を思わせる、冴えて鋭い凄腕の威容は。よほどに人を見抜く目が肥えていないと、直接 相対した者でないと拾えない凄みであり、

 「な、何してんですよ、あんたがた。」

 こんな子供みたいな相手、とっとと畳んでしまいなと。状況が、空気が読めてはいない若旦那の金切り声を、真っ先に封じたのもまた、

 「うるせぇよ。」

 親分のよくよく伸びる拳の一閃だったのだった。







  ◇  ◇  ◇



 「伝言屋?」
 「ああ。可愛いもんだろう、呼び名だけなら。」

 何が何だか判らないままだろう若旦那も込みで引っ括った一味の面々、引き渡したゲンゾウの旦那が教えてくださったのが。そんなふざけた呼び名の一味。ここ数カ月ほど、悪党共の連絡役として暗躍しているらしい存在があって、だが、こちらの隠密様でもなかなか尻尾が掴めないでいたらしいという秘密の情報があったそうで、
「何せ、組織だの関係している顔触れだのと、直接には縁もゆかりもない奴らの仕業。」
 そういう、言わば“部外者”が、抜け荷や阿片などというご禁制物品の取引に関わる伝言やら、お互いの制約の密書やら、表立ってはならぬが大事な伝言・文言、預かったり隠したり届けたりを請け負ってやっての金にしていたらしくって。悪党の世界でも専門職への分業化が進んでいるというところでしょうか。

 「小さな文の受け渡しじゃあ済まないような、
  大掛かりな悪事の密約書や図面も含めた計画書なんぞも、
  ご大層な掛け軸に装丁することで人目を誤魔化した上で、
  むしろ堂々と、陽の下でやり取りしていようとはな。」

 「……………あ。」
 「はい?」

 あ…っ、て。今更の“あ”ってのは何ですかと、ウソップが指の長い両手で自分の口許覆って必死で笑いをこらえ、ゲンゾウの旦那がしょっぱそうなお顔をし、そして。

 「…。」

 番所の裏手の軒下じゃあ。つい先程 収拾したばかりの捕物騒ぎの只中にて、こそりと活躍してくださった誰か様が、まんじゅう笠の下で口許をだけ ほころばす。凄腕ではあるけれど時々ぼこぉっと抜けてるところがある親分さんは、あのくらいの頭数くらい物ともしないが、卑怯な手には今一つ勘が働かないらしく。殺気があるから嗅ぎつけられんだと、高々と放り投げた小太刀の真下へ誘導されかかってたのへ、危うく刺さらんとした切っ先を石礫
(つぶて)で弾き飛ばして差し上げたり。この野郎っと殴り掛かろうとした目の前へ、丸腰の若旦那を…味方だろうに人質のよに羽交い締めにして盾にしかかったもんだから、

 『え?え? 味方じゃねぇの?』

 やはり混乱しかかった隙をつかれ、拳が止まった親分さんだったのへ、残りがまとめて襲い掛かりかかったのへと、

 『何してくれてんだ、てめぇらっ!』

 烈火のごとくに怒ったそのまま、見守っていた屋根から飛び降りの。両手へ掲げた2本の刀にて、中空へ飛び上がってた野郎ども複数の全てへ向けて。右へ左へ上から下から、目にも止まらぬ太刀筋を何合も見舞って差し上げ、疾風の如く立ち去った、それはそれは大人げない剣豪さん…もとえ、お坊様だったりし。それはともかく、
(おいおい)

 “今日の捕物とそっちとの関係、判らないまま聞いてたな。”

 なんてま、のほほんとした親分さんであることか。こんなお人に捕まってしまおうとは、たまたまな出合い頭という運の悪さもあろうけど、それ以上に、

  “やっぱ“伝書鳩役”にはそこまでの知恵しかなかったってコトだろうよ。”

 蓄積さえあれば何とかやり過ごせもしただろに。他の藩や町では知らないが、このお城下では呑気そうなお人ほど、眸をつけたとて返り討ちに遭うのがオチだというジンクスがある、丁度いい実例のようなもの。そんな親分だってこと、いっそ誰か広めてやりゃあいいのにねぇと微笑ったと同時に、
「…お。」
 笠の縁持て顔を上げれば。少し先の辻にさっと引っ込んだ これまた“誰か”さんの、艶な笑みの気配のみが残って擽ったいばかり。やんちゃな親分さんだけじゃあない、そんな彼を場見守る顔触れまでもが手ごわいご城下。この分だと当分は、平和安泰のままに栄えるばかりな様相で。

  「あ、ゾロだっ。奇遇だなっ!/////////
  「おう。そうだな、奇遇だな。」

  ―― ここって番所の真ん前なんですけど。

  「俺な、俺な、ご褒美もらったぞっ。///////
   今から茶店へ冷たいもん喰いに行くんだ、一緒しねぇかっ?」

  ―― おおう。息継ぎなしの一気に言い切ったぞ、親分。

 やっぱりこちらのお坊様には、何かしら懸想の勢いでもお持ちな親分であるんだろうかと。真っ赤になっての答えを待つ様が、どこの乙女か お女中ですかというお顔になってる直接の上司様へ、こっそり後ろずさりでこの場から去りながらも、ツッコミどころ満載なのをどうにかしてくれと嘆いた“誰か”さんだったのは、まあ…大したことはない おまけということで。
(おいおい)





  〜どさくさ・どっとはらい〜  08.8.11.


  *残暑お見舞い申し上げます。
   ……じゃあなくて。
(笑)
   今話は事件を優先させていただきました。
   つか、こういうネタってどうかなと、
   事件の方を先に思いついちゃったもんで。
   親分が乙女なばっかじゃあじゃないこと、証明させていただきました。
   そのあおりでお坊様はあんまり活躍できなくてすいませんです。

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